英国(植民地)時代の橋梁が解体されているとのニュースが流れてきた。
リンクに飛んでみると、見覚えのある赤いアーチが少しずつ切断されていく様子が紹介されていた…
အင်္ဂလိပ်ခေတ်က တံတားတစ်စင်း၏ နေဝင်ချိန်ヤンゴン市内中心部から東側のタケタThaketa地区には現在複数の橋梁が架けられており、ひっきりなしに自動車が行き来している。
植民地時代はこの地区にも貨物支線が敷設されており、マルァゴンの貨物ヤードから分岐していたことが各種地図から判明している。
今回紹介するNgamoeyeik(ンガモエイッ)橋は、ヤンゴン地区の主要な鉄道拠点であるマルァゴンとタケタ地区を結ぶ役割を果たしていた。
残念ながら、植民地時代の鉄道遺産と呼んでよいこの鉄道橋は、冒頭のニュース記事の通りここ数日のうちに跡形もなく撤去されてしまうようだ。


はじめにNgamoeyeik橋の位置を確認しよう。上図青線は現役の鉄道線、黄色がかつて存在した支線である。
橋はマルァゴンMa Hlwa Gone駅並びに貨物ヤードから分岐し北上した所で運河を越えていた。
タケタ地区の路線跡はほぼそのまま道路に転用され、緩やかなカーブに鉄道時代の跡を偲ぶことができる。
交通量の増加に伴い、パズンダン運河には独立後いくつもの道路橋が建設され、産業や生活のために利用されている。
Ngamoeyeik橋の隣にも2015年により大型な新橋梁が架けられ、旧橋は歩行者やバイクの通行用として残されていた。
ここからは2019年3月に筆者が実際に歩いた際の様子を紹介する。

タケタ側から新橋梁を見る。左側の舗装されていない道が旧橋へ続いている。

旧橋の入口。雨季の増水時には通行禁止となることもあった模様。

それでは橋を渡って行こう。簀子状に設置された床板の一部には、老朽化で抜け落ちている個所も見られた。

アーチ部を途中から振り返る。建築限界の狭さを感じる断面である。

跳ね上げ機構も装備していた模様。

跳ね上げ機構部のアップ。


マルァゴン側の出入口が近づいてきた。

マルァゴン側のアーチ部入口。

警備詰所と思われる建物が出入口付近に設置されていた。
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- 2020/07/31(金) 22:06:22|
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