
RBE2539 元北海道ちほく高原鉄道 CR70-1
所属:Pathein

室内の様子。トイレは使用可能だったか物置になっていたか、失念してしまった。

扉には出自が残っていた。

運転台。
2006年の北海道ちほく高原鉄道廃止後、同線で運行されてきた3両のCR70形(CR70-1~3)がミャンマーへ輸出された。
ミャンマーでは2007年に竣工し、3両ともエーヤワディ地方のヒンタダ機関区に配置された。
2000年代のミャンマー国鉄は、全国的な地方路線展開を継続していた時期にあたり、ヒンタダ地区はチャンギン―パコック線プロジェクトの南側に位置していた。3両のCR-70も、区間列車の他、先述の新規開業路線の運行に投入されたものと思われる。
2008年3月1日のチャンギン―オーシッピン(Okthitpin)開通時の一番列車に、今回紹介するRBE2539が連結されている。
2010年代に入ってから、3両の元CR70の内、RBE2540がヤンゴン地区へ転属となり、残り二両は長らく非稼働車としてヒンタダにとどまっていたことが斎藤幹雄氏のリポートから確認できる。
2016年に入って、ようやくヒンタダ・タエッミョー地区のRBEの多くがヤンゴン工場へ回送された。
管理人も、同年9月にヤンゴン工場に入場中のRBE2539を目撃している。

その後同車はパズンダウン工場にて修繕され(2017年11月に斎藤幹雄氏が確認)、2018年8月に管理人がいつもお世話になっているmaya氏がパティンでの運行を確認している。
2018年9月の渡航時は、5年以上のブランクを経て復活したRBE2539に、まず乗車することにした。

夜明けから間もない時刻にヒンタダ駅へ向かう。
RBE2539が投入されているのは、Pathein-Takongyiの通学用区間列車だ。
185UP(上画像)の出発を撮影後、駅舎の窓口にて次のTakongyiへの切符を求めたところ、昼過ぎまで時間が空く(ヒンタダ行187UP)ことを告げられた。
もしや運休か・・・?との不安を持ちながら、機関区からの出庫線へ移動する。

7:15頃、ゆっくりと草叢をかき分けてRBE2539がやってきた。

RBE2543の様に、両方向共に腰部のライトユニットが全て前照灯に改められている。尾灯が収められていた箇所を義眼にすれば、もう一両分の部品がねん出できるのに・・・と苦言を呈したくなるが、気にしないでおこう。

駅東側の踏切の先に分岐器があり、一旦踏切手前で停止する。

パティン駅に入線。

パティン工科大学の学生たちが乗り込む。
再び窓口へ向かうと、駅員氏もようやく私の意図を理解してくれた。

7:30, エンジンの始動にてこずりつつもRBE2539はパティンを出発した。
大半の座席は学生たちで埋まっており、皆思い思いの時間を過ごしている。
筆者も近くに座っていた何人かの学生たちと仲良くなった。
そのため、車窓の写真はこれ一枚・・・

パティン工科大学駅(Takongyiの一駅手前)で全員が下車した。この駅に側線はなく、列車はTakongyiで留置となる。
このまま乗ってもよさそうだが、車両自体は既にじっくり撮影したので、私も降りてみた。
日によってはこの先の沿線にある小学校の児童が多数乗車するとのこと。
沿線の学校のスケジュールに合わせて、柔軟に運行しているようだ。パティン駅でTakongyiまでの案内がなされなかったのも、この列車が通学に特化しているからという事情があるのだろう。ヒンタダ方面へ用事がある旅客は、約一時間前にパティンを出発する185UPに乗車すれば良いのである。

パティン工科大学。ミャンマー各地で見られる、ギリシア風建築の校舎だ。

大学前の飲食店で朝食を頼もうとすると、先程の車内で知り合った学生たちも食事をしていた。
一緒にシャンヌードルを頂く。
その後彼らは大学内を案内してくれた。
訪問時は授業期間が終わり、補講が随時実施されていた。
工科大学は5年制で、彼らは3年生だという。
当地の事情には詳しくないけれども、理系学部なら、まず明るい将来が待っていることだろう。
道産子に乗る目的でパティンに行ったのだけれども、こうして世代の近い友人を作ることができ良い思い出となった。
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- 2019/08/20(火) 00:21:34|
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RBE2585 元JR北海道キハ141-10
所属:Pyinmana(ピンマナ)
RBE2585は2013年度に竣工した元キハ141系第一陣の内の1両である。
RBE5045(元キハ142-8)と編成を組み、運行開始から長らくPyawbwe-Natmauk-Magway Railway Projectのピョーブェ~新ナッマウ間の列車に投入されている。
2014年8月9日には、Pyawbwe1にて、RBE2555をナッマウ方に増結して運行されていた事が確認されている。
2017年12月はナッマウ方を向いていた。

ユワトーにて。貫通扉から滑り止めの砂を撒く事ができるよう、塩ビ管が取り付けられている。

荒野を切り開いて路線は建設されており、切り通しも点在する。
切り通しではバラストが散布されておらず、横揺れが激しい。

特に土砂崩れを防止するための工事が行われていないため、この手の切り通しがある路線は雨季に災害による長期運休が発生する事もある。

ナッマウに近づくにつれて、少しずつ車内は暖かくなってゆく。
遠くに見えるのはポッパ山だろうか。

待合所のみの簡素な無人駅も存在する。

家畜の放牧も行われている。

10時ごろ、ナッマウ駅に到着。ここはバガンやタウンドインジー等を南北に結ぶ路線上にあり、地方にしては運行本数も多い。
列車はここから新線に入り、ナッマウ市内西側の新駅へと向かう。

新線はナッマウ市を大きく北に迂回するように敷設されており、また軌道の状態も悪く、走破には20分程の時間を要する。
間違いなく、ナッマウ駅~新ナッマウ駅間はバイクで直線移動した方が早く移動できるであろう。

川を渡る個所も存在する。

新ナッマウ到着後の様子。肥料と思われる袋が積み上げられており、下車するのに一苦労であった。

新ナッマウから先はカンビャKanbyaへと西に延伸され、マグェまでの鉄路が繋がる計画である。


ナッマウはビルマの独立運動を指導し、建国の父として現在も国民から敬愛されているアウンサン将軍の生地である。
訪れるにあたっては、ぜひともアウンサンに関連した施設に立ち寄りたい。
新ナッマウ駅から馬車タクシーで約5分の所には、小さな博物館がある。また、市内には独立を記念した公園もある。
- 2018/03/26(月) 10:50:51|
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RBE5045 元JR北海道キハ142-8
所属:Pyinmana(ピンマナ)
RBE5045は2013年度に竣工した元キハ141系第一陣の内の1両である。
RBE2585(元キハ141-10)と編成を組み、運行開始から長らくPyawbwe-Natmauk-Magway Railway Projectのピョーブェ~新ナッマウ間の列車に投入されている。
2014年8月9日には、RBE2555を増結して運行されていた事が確認されている。
少なくとも同年2月まではナッマウ方を向いていた。
2017年12月は方向転換され、ピョーブェ方を向いている。

朝5時にピョーブェを出発、約1時間ほどすると空が明るくなってきた。

線路からやや離れた築堤上に設置された駅舎は、切り通しの多い線区でよく見られる。
駅舎のデザインや構造も、同じ時期に建設が進められたからかいずれも似たり寄ったりであった。

Ywataw駅にて、区間列車のPyawbwe3と交換する。

ユワトーという地名・駅名は他にもあるため、駅名標には括弧書きで何か書かれているが、ペンキが剥げており解読不能だった。
マグェとマルン方面の分岐駅もユワトー・ジャンクションである。

ユワトーでは乗務員の休憩時間が設けられており、10~15分ほど停車する。

乗車率も高く、ピョーブェを出発してから徐々に座席は埋まっていった。

運転台。

手ブレーキ。
後編:RBE2585に続く。
- 2018/03/06(火) 09:54:05|
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2012年6月の札沼線桑園-北海道医療大学間の電化後、JR北海道のキハ48形300番台の3両(301~303)がミャンマーへ輸出された。
これらの車両は約一年後の2013年4月頃に改造が完了し、晴れてミャンマー国鉄(MR)の一員となった(RBE2588~2590)。
RBE2588と
2589は編成を組み、ヤンゴン中央駅~コンピューター大学駅の列車に投入された。
さて、今回紹介するRBE2590は竣工後専らDRCの予備車として稼働機会にあまり恵まれてこなかった。
鉄道ピクトリアル誌2014年5月号によると、試運転時にエンジンが不調だったとの事。
しかしDRCの非稼働車の中には塗装が荒廃しつつあるものも確認される中、同車はきれいな状態を保ったままでスタンバイしている姿が確認されてきた。
また、旅客運用には入らないものの他の車両と連結して事業用途に使用されたとの情報もいただいた。
長らく謎に包まれていたRBE2590は、2016年1月末についにコンピューター大学支線の運用に投入された。
以下はその乗車記である。

帰国前日の1月26日、いつもの車両(RBE2543,2568,2576)だろうと思いつつヤンゴン中央駅のホームに降り立つと、そこにはRBE2590が停車していた。翌日の午前中の予定は、これでもう決まったようなものだ。

翌朝、夜明け前のヤンゴンを出発する。隣には、コンピューター大学支線二便目の座を長らく保ってきた同胞のRBE2589がスタンバイしている。

車内の様子。学園都市線時代にボックスシートを2+1列に改造している。尤もこの時間帯の下り(都心から離れるという意味で)は空いている。

JR東日本や東海車ともすれ違いながら、ヤンゴン市内を北上する。

車番はすでに色褪せてしまっている。

二便目が到着、キハ48が並ぶ。

3両のキハ48が集結した。
一便目は二便目の乗降客を通すために、到着後一旦連結を解いて通路を確保していた。
RBE2590の目撃と乗車は、偶然とはいえ、旅の終わりを飾る印象的な出来事であった。
同車のコンピューター大学支線での運行はほんの一時期にとどまり、その後は余剰のキハ11形が、冷房を停止した状態で運行されているのが目撃されている。
2016年5月以降はRBE2588+2589がバゴーに転出したため、コンピューター大学支線は2便ともキハ38形やJR東海キハ40系の2両編成での運行となっている。
RBE2590,次はどのような場面で出くわすだろうか。
- 2016/06/27(月) 15:27:03|
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2013年のミャンマーでの運行開始以来、主にコンピューター大学支線の運用に投入されてきたRBE2589を沿線の光景と共に紹介する。編成を組むRBE2588については、
こちらを参照。

早朝のヤンゴン中央駅に入線したRBE2589.これからコンピューター大学への約二時間の旅が始まる。

ダニンゴン駅で、ヤンゴン環状線と分離する。通勤・通学時間帯のため、すれ違う列車も多い。

その思いは届いたのだろうか。

(ハ)ローガ駅で、ピィ方面の本線と分離し、草むらのコンピューター大学支線に入る。


ゆっくりと草をかき分け、午前八時ごろにコンピューター大学に到着。

学園都市線からのキハ48は総括制御で運行されるためか、専ら右の二番線?に入線してきた。
左の第一便は到着後に編成を一度切り離し、第二便の乗客が通る通路を確保する。
第一便に使用される車両はころころ入れ替わった一方で、第二便は2013年からの約三年間RBE2588+2589が担ってきた。
このコンビがバゴーに転出して以降、コンピューター大学支線はキハ38やJR東海車で運行されていると聞く。
安定して運行されてきたRBE2588+2589の他に、秘かにいつも出番を待っている車両がもう一両いたのである・・・(続く)
- 2016/06/21(火) 10:22:16|
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RBE2595 元JR北海道キハ141 5
所属:マンダレー
マンダレーにはキハ141系が6両在籍しており、マンダレー・モンユワ、マンダレー・バガン(急行)の列車に投入されている。
今回紹介するRBE2595は、2015年8月にはバガン急行に連結されていた。

午後8時半、列車が入線した。線路脇にまで商店の客席が広がっており、人々はサッカーの試合に釘付けとなっていた。

出発を待つ。夜の駅構内はどこも薄暗い。

床に置かれた旅客の袋が、異国情緒を漂わせる。
マンダレーとバガンの中間地点であるミンジャンまでは、それなりの乗車率であった。
一部の部品が外れてしまっているものの、車内は日本時代末期と大差ない。
- 2016/01/13(水) 01:48:38|
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RBE2588 元JR北海道キハ48 301
所属:DRC
2012年6月の札沼線桑園-北海道医療大学間の電化後、JR北海道のキハ48形300番台の3両はミャンマーへ輸出された。
これらの車両は約一年後の2013年4月頃に改造が完了し、運用に投入されている。
今回紹介するキハ48 301改めRBE2588は、RBE2589(元キハ48 302)と編成を組み、コンピューター大学支線の運用に投入されている。
RBE2588+RBE2589は、安定してコンピューター大学支線の運用に入っており、また毎回の渡航時にその姿を確認する事が出来ている数少ない車両と言う事もあり、管理人にとって非常に印象深い列車である(コンピューター大学からの復路は、大幅に遅れなければ18時前にヤンゴンに到着する事もあり、旅行の最終日はこの列車を見送ってから空港へ向かうのが毎回のスケジュールになってしまっている)。
二回に渡って、これまでの様子を紹介する。
※2016年5月より、これら二両はバゴー~ニャウンカシー支線で運行されている。

初めてのミャンマー、地元を走っていた車両と遭遇できた時は正に感慨無量であった。(2013年9月)

ヤンゴンでの運行開始から一年近くが経過し、少しずつ汚れも目立ってきた。ちなみにこの時のもう一本のコンピューター大学支線用編成には元北海道ちほく高原鉄道CR70-2ことRBE2540が連結されており、場所は違えど北海道を駆けた車両が顔合わせするというシーンも見られた。(2014年3月)

安定して運行が続いているRBE2588+RBE2589,黄昏時のヤンゴン駅にすんなり溶け込んでいる。(2015年8月)

午後五時ごろに、ヤンゴン中心部に戻ってくる。
個人的にこれがDRC時代最後の同車のカットとなった。(2016年1月)

恥ずかしながら、先日ようやく乗車する事ができた。その模様は後日…(2015年8月)
- 2015/11/16(月) 02:49:09|
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RBE5044 元JR北海道キハ142-7
所属:Pyinmana(ピンマナ)
RBE2583とコンビを組むRBE5044.
同車は2012年7月にJR北海道札沼線から引退し、2013年雨季にミャンマー国鉄での改造工事を終え、RBE2583とのペアで運用に投入された。
当初はマンダレー所属であったものの、実際はピンマナ機関区担当の列車で運行されていた模様。
鉄道ピクトリアル901号によると、2014年8月にピンマナに転属となったとの事。
2014年頃はヤンゴンーマンダレー線のピンマナ-タッコン間の二往復(507Up~510Dn)に、2015年以降ネピドー~ピィの109Up/110Dnを中心に運行されている。
旅客輸送の他、鉄道新線・新施設開業時等の要人の移動にも用いられる。
VIP運用の実績としては、2013年5月のAyeyawady Bridge (Malun)開通式や2014年2月の Khatha-Bhamo railroad project のMotargyi-Chaungwa-Kyaukkyi間の開通式が挙げられる。

ピンマナ駅にて、つかの間の休息。
先日引退した711系を髣髴とさせる、赤ベースのクリーム帯に塗られた車体は衝撃的であった。

ネピドーを発車し、タッコンへ北上する。その光景は、この旅で最も印象的であった。

2016年1月、109UPに投入時の姿。
- 2015/09/09(水) 09:30:14|
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RBE2583 元JR北海道キハ141-8
所属:Pyinmana(ピンマナ)
ミャンマーに輸出されたキハ141・142のうち、RBE2583+5044(元キハ141-8+元キハ142-7)のペアは2015年7月現在唯一ミャンマー国鉄塗装に変更されている車両である。
今回紹介するRBE2583は2012年7月にJR北海道札沼線から引退し、2013年雨季にミャンマー国鉄での改造工事を終え、RBE5044とのペアで運用に投入されている。
当初はマンダレー所属であったものの、実際はピンマナ・ネピドー地区の区間列車で運行されてきた模様。
鉄道ピクトリアル901号によると、2014年8月にピンマナに転属となったとの事。
なお当記事のミャンマーでの画像は全て、マンダレーの所属であった2014年3月にピンマナ地区で撮影したものである。
2014年頃はヤンゴンーマンダレー線のピンマナ-タッコン間の二往復(507Up~510Dn)に、2015年以降ネピドー~ピィの109Up/110Dnを中心に運行されている。
旅客輸送の他、鉄道新線・新施設開業時等の要人の移動にも用いられる。
VIP運用の実績としては、2013年5月のAyeyawady Bridge (Malun)開通式や2014年2月の Khatha-Bhamo railroad project のMotargyi-Chaungwa-Kyaukkyi間の開通式が挙げられる。
このため、塗装はVIP用車のものに変更されている。なお、内装には特に手が加えられていない模様。

優先席のシールや、禁煙の表記も残されている。
窓が北海道仕様の二重窓であるからか、側面は711系電車を髣髴とさせるものがある。
塗装は元のJR北海道色の上からそのまま塗り重ねられており、うっすらと日本時代の車番も見えた。

連結部。幌やブレーキ管などを接続し、総括制御が活かされている。

ネピドーに到着した509UP.撮影当時は何の列車か分からなかった。

ネピドー駅を発車するRBE2583.

JR北海道時代の画像。苗穂にて撮影。
- 2015/07/28(火) 05:26:04|
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近年は日本各地から鉄道車両が輸出されており、その前後を追いかけるファンも少なくない。
特に首都圏からはジャカルタへ通勤電車が大量に輸出されており、これらの車両を記録するために、熱心に現地へ出向くファンの方々をみて、首都圏はいいなあと思っていた時期があった。
一方、私の地元の北海道からも気動車が数次に渡りミャンマーに輸出されてきている。
今かつて撮影した写真を見返してみると、自分も日本時代を撮影していた事に気づく。
このコーナーでは、日本時代と輸出後の姿を紹介する。

第一回目は、現在ヤンゴン環状線でエアコン列車の一員として活躍するRBE25107こと、元キハ40-335だ。
2014年9月のミャンマー渡航は、ちょうど二本のエアコン列車が運用入りした事もあり、これらの編成を撮影・乗車する事も目的の一つに据えた。
現在元札沼線と元久留里線の編成にはラッピングが施されている。しかし運用入り直後の両編成は日本時代とほぼ変わらぬ塗装を維持していた。

こちらがRBE25107の北海道時代の画像。札沼線電化前・・・と言いたいところだが、撮影日は2012年8月17日。実は同年の6月には桑園―北海道医療大学間は電化されており、気動車と電車が共存していた時期に当たる。同年10月に先述の区間は完全に電車のみの運行となった。
個人的に札沼線は沿線ではなかったことも有って、特に撮影に出かける事はなかった。ただし苗穂に立ち寄った際に運転所や工場を歩道橋から撮影することがあり、その時に札幌と苗穂の間を回送で走る列車を捉える事ができたのだ。

札幌駅に停車するキハ40-335.2011年3月に撮影とある。
この日は雪で列車が遅れ、寒い思いをしながら列車を待った記憶がある。
今では雪のない大地を走る道産子の末永い活躍を願う。
- 2015/02/23(月) 06:19:29|
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